Monday 17 October 2011

夜世紀

21世紀は、生活が地球の自転周期の束縛から、初めて解放される世紀である。そして、それは、「夜」を主役に変える。

20世紀(近代工業化社会) 同期性社会
21世紀(脱・近代工業化社会) 非同期性社会 (人々は、地球の自転周期を離れ、自分の周波数で生きるスタイルを選ぶようになる)

昼+夜=1日ではなく、昼x夜=1日である。

21世紀の夜は、昼の補完物ではない。

1.夜噺:小出し会話、カエルメール、茶の間情報交換所

2.夜店:一村一店(コンビニという商店街の代わりに一店街の普及)、五目作ショップ(いろいろな業態が入り交る24時間営業ショップ・客の入り具合を見ながら作不面積を手早く変更できる機能と、それを読む店長のカンが必須)、タイムシェアリング・ショップ(空き店舗スペースを時間単位で貸すビジネス)

3.夜会:亥の刻文化(午後10時から)、明星デート、時差スタンダード(通信技術により世界各地にいながら同時会議)

4.夜行:POSトレイン、オフィス深夜特急、夜配便

5.夜勤:二部机、外食主婦、ウシミツ・カンパニー

6.夜学:3S教室、開講時間入札制、自動教育

7.夜食:パワーサパー、ディブレック、新夜鳴き

8.夜景:100万ドルの暗闇、東日本標準時、ブランド・ナイト

9.夜遊:24時間ホテル、夜園地、出家

10.夜陰:AIT,日の出亡国論、バーチャル・ナイト・ショップ


10の夜の力は、昼の力をブースとする。

『夜世紀 生活予報2000』


Thursday 13 October 2011

海外志向の強い現代のベトナム


海外志向の強い現代のベトナム

「周りの友達がみんな留学しているから僕を留学させて」と両親にわがままに言い続ける高校生。実は私の父親のほうにはある知り合いの話だ。高校でまったく勉強せずにゲームとか友達と遊んでいるばかりな子なのに、こういうせりふが最近聞こえてる。ベトナムでずっといるとこのままゲーム熱中ばかりだから、オーストラリアなどに生かせてもらうと僕も性格が変わる、ちゃんと勉強してみせる、と断言した一人っ子。

ある意味でその言い訳が本当のあの息子さんの本音を隠してるだけ。みんな留学してるから、集団空気の影響を受けて、自分もそうしないと劣等感を感じる。

実際は親がこういう提案に抵抗してはない。ベトナムの大学に行くと1年生には政治や共産主義の方針などMarx – Leninのことばかりに洗脳され、ただ時間の無駄だと。

経済余裕のある家庭では別に問題ではないが、中流やあまり稼いでない親の家庭となると、大きな悩みである。一生懸命働いて子供を留学させてやる父親なのに、子供は留学して勉強せず、ただ親のお金を浪費してるばかり。

しかし、これはあくまでもある部分の社会実態であり、全体的に言うと勤勉のベトナム人の若者が多い。逆に、お金持ちや大手企業の社長・取締役である両親がいる若者は、両親のお金に一切依存せずに独立に奨学金を探し、実力のある上にはHarvard Oxfordなど立派な大学で留学することも良く見られる。

老後海外に移住するという中年の親が増えている

子供が今アメリカで働いて結婚して生活してるから、退年になると自分もアメリカに行って家を買う、移住する。これは多くの親たちの口から聞こえるせりふ。

海外志向が強い、留学している自分の子供に「卒業した後でもそこで就職するかほかの国の大学院に進むか、いずれにせよベトナムに帰らないでほしい」という親たちが増えている。

考えうるひとつの原因は、現在の堕落した制度の実態。共産主義の考えがまだ強く、不公平・不透明、ややこしい手続き、汚い空気、不十分の治療サービスなど。沿いゥ考えでなるべくベトナムから脱退していい、という人が多い。(実際に自分の両親もそういっている)
昔の戦争によって難民が多いだけに、現在海外駐在のベトナム人がたくさんいる。主にフランス、アメリカ、オーストラリアや旧そう連国々。

Saturday 8 October 2011

「静かで平和で孤独な日曜日」ドメスチカル化、カウントリーギャル

村上春樹の「ノルウェイの森」一回読んだことある。
主人公がろくでもない人生を送って、毎日ごく普通な生活をしてる人物。そしてこういうせりふがあった。

「そんな風にミドリの父親のことを考えているとだんだんやるせない気持ちになってきたので、僕は早めに屋上の洗濯物を取り込んで新宿に出て町を歩いて時間をつぶすことにした。混雑した日曜日の町は僕をほっとさせてくれた。(略)そしてこの先こんな日曜日をいったい何十回、何百回繰り返すことになるのだろうとふと思った。「静かで平和で孤独何曜日」と僕は口に出していってみた。日曜日には僕はねじを巻かないのだ。」

こういうような日曜日を、皆さん同じように過ごして感じたことがありますか。

私はけっこうある。平日ひたすら学校で時間を過ごして、土曜日の朝も通学する私は、1週間休みの時間はただ日曜日なのだ。とはいっても、日曜日には、友達に誘われないよっぽどのことがない限り、いつも自分の部屋でひっそりと過ごしてるのだ。楽しみといえば、本屋さんに通ってうろうろ本を探し、(主に小説)、あるいはどっか離れた場所に行って一人で喫茶店に入り、タバコを吸いながらあったかいコーヒーを飲み、買った本を読むのだ。時折何かぴんとくることがあったらメモし、文章を読むうちにいい表現を見つけたらノートに書いて(紙がなければ携帯で保存する)、あとで自分の文章で工夫し使う癖がある。そういう生活を他人に語ると、「まだ若いからもっと洋服などショッピングしたほうがいいんじゃない?若者は最近消費しなくなるよな」って非難されることがある。

ある本で読んだことだが、テクノロジーの進化によって商品の機能的価値には大差がなくなり、商品の記号的価値、つまりソフトの部分の違いにメーカーと消費者の関心が向けられるようになった。(寺田信之助1996「よく分かる広告業界」) そして、「軽チャー」「軽薄短小」など、軽いものや面白いものを尊重する文化。。。これを呼んで、「ああ確かにな」と思った。しかし、軽いもの、面白いものといっても、現代ある部分の若者がそういったものさえに対して関心を持たなくなっているじゃないか、というような疑問を抱いてる。

大学3年のとき、私はフェイスブックを通じてある日本人の男のことを知った。彼が一方的に私に友達リクエストを送って、友達になった。というのは、実際に話したことがなかったのに、ただキャンパスで見たりして興味を持つようになる、共通の友達を通じて私のフェイスブックを見つけた。
知り合いになったのは春休みの間で、私は当時ベトナムにいた。けど、毎日彼とメッセージしたり、チャットしたりして、なんだか仲良くなった。

日本に戻ったとき彼と初デート。今回はリアルで、正真正銘のデートだった。
彼のことをネット上で知っただけで、実際にあったのと印象がほとんど変わらない。ちょっと偏屈な人で、人ごみが嫌い、一人でいるのが好きだけど孤独が好きじゃない。と彼も自分でそういった。ああなるほど、じゃあ一緒だ!と私もつぶやいた。

彼にはいくつかの親しい友達がいて、彼らも同じようにひっそり生活が好き。タバコを吸ってユーチューブで60年代の音楽を聴いて。ギターを弾く。バイクで別府から実家の神戸まで帰る(まじっすかと思う人にかかわらず)。ツタヤでレンタルビデオの古い映画やメキシコやフランスの映画を借りてみる。彼のおかげで、私も人生初ウィードを体験するようになった。まあどっちかというとタバコに近い、タバコより香りが良い、だんだん吸っていたら体がだるくなる。とウィーどの素人の私の感想。

「愛してるよ」「そばにいるよ」なんてジェーポップに対して抵抗感を覚えると彼が行った。つまり現代はやっている若者の文化に対する不信が強い。

こういうサブカルチャーはおもしろいなあ、と私も肌で感じた。なぜなら、自分も同じもんだ。

こういうサブカルチャー(軽チャーじゃなくて)について、何とかしたくなるカウントリーギャル気分。絶対何か共通点がある。一人旅パックとか。でもそれはアホ。こういうサブカルチャーの人たちは、絶対集団的なものが嫌い。

実は今、「自立と孤独の心理学」という本を試みる中。ブックオフでぱっと目にしてぴんとくるもんだから購入した。
結論をたどるときまでに、じゃ。

電通の鬼十則


  1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
  2. 仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
  3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
  4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
  5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
  6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
  7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
  8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。
  9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
  10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

「劇内定塾」という就活2013版の中にこう見つけた。偉人の言葉でおそらく多くの人が知っているが、私は人生初こういう本を読むまでに知らなかった。
そして活字のところは非常にぴんと来た。
1と2は大体同じことを言ってる。それはすでに自分の中で感じたもの。「俺は空を見上げて果物が落ちてくるの待ってるわけないぜ」みたいなせりふ。

8番は、的中だ。あまり自信が持てない私にとって、こう呼んで魂の奥の隅まで響く言葉。そして何か苦味を禁じえない。

もっと自信を持って行動するようになりたい。プレゼンテーションの直前に感じる緊張感。神経質な状態に陥る。これ誰でもあることだが、緊張感を表面さえ出なければ成功したも同然だ。「心頭を滅却すれば火もまた涼し」というように。

レモンツリー

一回目標決めたらそのことだけで頭がいっぱいになるのはなかなか直せない癖だ。
いいんじゃないですかって思ってる人もいるかもしれないけど、どうだろうね。

猛烈で物事を突入し突破し飛び出しし、時々自分が満足できないことでストレスになりがち。
今はまさにそうだ。

お酒飲んで一気晴らしたいわ。このアタマの中の暗雲
レモンツリーをちょっと聴きましょ。

Friday 7 October 2011

逆カルチャーショック

日本滞在もう3年間以上。年に2回ほど帰国するが、最初のホームシックもしばらくなくなり、逆に実家にいる間に日本に対するホームシックになり始めたのは、一体いつごろなのか。

前書きとして言っておいたほうがいいと思うけど、私はどっちかというとあまりベトナムっぽくない。そういう感覚を持っているのはずっと子供のときからだった。
文学家庭で生まれ育ち私は小学校時代から言語に対して情熱で興味を抱き、言語全般は飲み込むのが早かった。ベトナム最大都市の一流中学校や高校に通い、英語専攻クラスでトップになり。海外志向が強い。

高校卒業次第日本にいくことになった。あまりにも深く考えることなく、ただ行きたかった。それに、欧米の影響でアメリカやオーストラリアに留学する周りの友達など、大ナゾの日本イメージの時代だった。不気味な考え方かもしれないけど、これはまさに縁でなくてなんだろう、とずっと思ってしまった。

日本で3年間ひっそり生活してきた私は、ベトナムに帰ったときいかにも違和感を感じた。

道で歩いていると、普段心地よいショートやミニスカートを着たりする自分に対して、とりすぎた男の人(少年も中年のおじさんも)、変態な目つきで見られるのが少なくはない。なんて。これは日本であれば裸さえなければどれだけミニスカートで冬の寒い夜に道を歩くと誰も見向きもしないはずだ と徐除おかしく思い出す。

まあまあね。ベトナムっていかにもまだコンサーバティブだし、男性みんなは日本ほど早い時期から性的雑誌や動画に触れる機会も少なく、まだ女の体にうまく馴染んでいないからだ と自分に対する弁護のように言い聞かせた。

ただこれはまだひとつの違和感だ。まだ続きの話がある。もう疲れたから、しかも明日7時起きなければならないので、ベッドに入ります。
また書く。